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東京地方裁判所 平成6年(ワ)16866号 判決

原告(反訴被告、以下単に「原告」という) 大東信用金庫

右代表者代表理事 矢﨑貞次

右訴訟代理人弁護士 伊藤博

同 谷眞人

被告(反訴原告、以下単に「被告」という) 内海陽一

被告(反訴原告、以下単に「被告」という) 竹門豊子

被告(反訴原告、以下単に「被告」という) 中里多喜子

被告(反訴原告、以下単に「被告」という) 須賀泰子

被告(反訴原告、以下単に「被告」という) 染井四方子

被告(反訴原告、以下単に「被告」という) 湯浅紀久江

右被告ら訴訟代理人弁護士 藤田謹也

同 土居久子

主文

一  原告の本訴請求、被告らの反訴請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は本訴反訴を通じてこれを七分し、その六を原告の、その余を被告らの負担とする。

事実

第一申立

一  原告

1  被告らは原告に対し、各自一八六〇万円、及びこれに対する、被告内海陽一、同竹門豊子及び同中里多喜子については平成六年二月二四日から、同須賀泰子については同月二六日から、同染井四方子については同年三月三日から、同湯浅紀久江については同月二六日から各支払済みまで、年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らの反訴請求を棄却する。

3  訴訟費用は、本訴反訴を通じて被告らの負担とする。

4  第1、3項につき仮執行宣言

二  被告ら

1  原告の本訴請求を棄却する。

2  原告は被告らに対し、合計して二〇〇万円及びこれに対する平成六年九月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は、本訴反訴を通じて原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  本訴請求原因

1  本件根抵当権設定行為

原告は、昭和五三年九月一八日弁論分離前被告有限会社斎藤運輸商会(以下「斎藤運輸」という)との間で信用金庫取引約定書を取り交わし、右取引により生じる債務を担保するため、同六二年六月二五日斎藤運輸から、同社所有の別紙物件目録一記載の建物(以下「本件建物」という)について、極度額を二〇〇〇万円とする根抵当権(以下「本件根抵当権」という)の設定を受けた。

2  原告、斎藤運輸間の消費貸借契約

(一) 原告は、平成元年一〇月五日斎藤運輸に対し、右約定に基づいて三一〇〇万円を次の条件で貸し渡した。

(1) 弁済方法 平成二年一月から同年一二月まで各三〇万円、同三年一月から同七年七月まで各五〇万円を、毎月二三日限り支払う。

(2) 利息 年八・五パーセント

(3) 利息支払方法 平成元年一〇月二三日を第一回とし、以後毎月二三日限りその日までの分を支払う。

(4) 遅延損害金 年一八・二五パーセント

(二) 斎藤運輸は原告に対し、平成元年一〇月ないし一二月分の利息並びに平成二年一月分の元本及び利息を支払ったが、翌二月分を同年四月に、同年三月分を平成三年三月に支払うなど、弁済が遅滞した。

(三) 平成五年一月五日現在の斎藤運輸の残債務は、未払元本七八〇万二七七一円及び未払利息四三一万三三七七円、残元本二〇〇〇万円であったため、斎藤運輸は法人定期預金を解約するなどして、未払元本及び利息に充当し、貸付残高を二〇〇〇万円として、以後弁済金はすべて元本に充当することとした。

(四) その後、斎藤運輸は原告に対し、平成五年一一月二九日保留金一二〇万円を元本に充当し、同年一二月二〇日一〇万円、同六年一月一四日一〇万円をそれぞれ支払ったため、現在、元本残高は一八六〇万円となっている。

3  本件根抵当権設定についての訴外内海隆一の承諾書の差入れ

訴外内海隆一(以下「隆一」という)は、本件建物の敷地である別紙物件目録二記載の土地(以下「本件土地」という)を所有し、これを斎藤運輸に賃貸していたところ、斎藤運輸が本件建物につき原告のために根抵当権を設定するに際し、原告に対し、右の根抵当権設定を承諾する旨の承諾書(以下「本件承諾書」という)を差し入れた。

4  被告らによる相続

隆一は昭和六三年四月一六日死亡し、被告ら六名は、右の相続により本件土地について持分各六分の一の共有者となり、あわせて隆一の前記賃貸人たる地位を承継した。

5  被告内海陽一の本件建物取壊行為

(一) 被告内海陽一(以下「被告陽一」という)は、本件建物取壊しに先立ち、原告江戸川支店を訪問し、右承諾書及び添付の印鑑証明書を確認しており、被告らは本件建物が本件根抵当権の目的となっていることを十分認識していた。

(二) しかるに、被告陽一は平成五年四月二七日午前中に原告江戸川支店を訪れ、「本件建物を取り壊しますから宜しく。」と告げて帰っていったため、原告担当者が同日午後本件建物所在地に赴いたところ、本件建物は取り壊されて跡形もなくなっていた。被告らの右取壊行為の結果、本件根抵当権の目的物件は消失し、本件根抵当権は消滅した。

6  被告らの責任

(一) 土地の賃借人がその土地上に所有する建物に抵当権を設定するにあたり、その土地を所有する賃貸人が抵当権者に対して右抵当権設定を承諾した場合には、右賃貸人は、借地人の賃料不払いにより借地契約を解除し、これに基づいて借地上の建物を取り壊すためには、抵当権者にその旨を事前に通知する信義則上の義務を負う。右のごとき承諾を与えた土地の所有者(賃貸人)が、抵当権者に通知をせずしてなした借地契約の解除は抵当権者に対抗できず、右解除に基づく建物取壊しは、たとえそれが賃貸人、賃借人間の債務名義に基づいてなされたものであっても、抵当権者との関係では不法行為を構成する。

また、右所有者が建物取壊しにより著しく権利を害される抵当権者の存在を知りながら、抵当権者に何らの告知をすることなく、借地上の建物を取り壊す行為は、たとえそれが賃貸人、賃借人間の債務名義に基づいてなされたものであっても、権利の濫用として許されないものであり、抵当権者との関係で不法行為を構成する。

(二) 隆一は、斉藤運輸が本件建物につき原告のために根抵当権を設定するに際し、原告に対し、本件承諾書を差し入れたこと、並びに被告らは、本件建物につき原告のために抵当権が設定されており、右の承諾書が差し入れられていることを知悉していたことは前記のとおりである。さらに、被告らは、平成元年以降四年間にわたり斉藤運輸との間で、建物収去・土地明渡しのために争っており、本件建物取壊しに至るまでの間、原告に対して通知する機会は十分あった。

したがって、被告らが、原告に何らの通知をすることなく本件建物を取り壊した行為は、信義則上の通知義務違反又は権利の濫用として、違法性を有する。

よって、被告らの本件建物取壊行為は、抵当権を侵害する不法行為となるから、被告らは共同不法行為者として損害賠償責任を負う。

7  損害

斉藤運輸は、本件建物のほか見るべき財産がないうえ、返済が遅滞しているのは前記のとおりであって、今後、斉藤運輸に対する貸金債権が完済される可能性は著しく低い。本件建物は、原告が貸金債務の弁済を受けるための最後の財産であったところ、被告らの取壊行為により、原告は右弁済を受けられなくなってしまったのであって、原告の被った損害額は、前記2記載のとおり原告の斉藤運輸に対する元本残高に等しい。

8  結論

よって、原告は被告らに対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、各自一八六〇万円、及びこれに対する訴状送達の日の翌日である、被告陽一、同竹門豊子及び同中里多喜子については平成六年二月二四日から、同須賀泰子については同月二六日から、同染井四方子については同年三月三日から、同湯浅紀久江については同月二六日から、各支払済みまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  本訴請求原因に対する認否及び被告らの主張

1  本訴請求原因1、2の事実は不知。

2(一)  同3の事実のうち、隆一が本件建物の敷地である本件土地を所有し、これを斉藤運輸に賃貸していたことは認めるが、その余は否認する。

(二)  被告陽一は、昭和六二年四月ころ、斉藤運輸代表取締役齋藤智雄(以下「齋藤」という)から「会社の建物を新築したので、陸運局にその旨の書類を提出する必要がある。その際、地主の書類も一緒に提出するので、実印を押して印鑑証明書を一通添付して欲しい。」と要請され、齋藤が用意した書類に実印を押捺して、印鑑証明書一通を交付した。その際、齋藤が用意した書類はほとんど白紙であり、本件承諾書中の「私が賃貸しております上記宅地上の下記建物を貴方において大東信用金庫に対し抵当に差し入れることを承諾致します。」との文言は存在しなかった。

3  同4の事実は認める。

4(一)  同5(一)の事実のうち、被告陽一が、本件建物が原告の根抵当権の目的となっていることを認識していたことは認め、その余は否認する。

(二)  同5(二)の事実のうち、被告陽一が本件建物の取壊しを告げるため原告江戸川支店を訪れたこと、本件建物の取壊しによって、原告が本件建物に設定していた本件根抵当権が消滅したことは認め、その余は否認する。

5(一)  同6は否認又は争う。

(二)  後述のとおり、被告らは、本件土地の賃借人である斉藤運輸が長期間地代を滞納したため借地契約を解除し、建物収去土地明渡請求事件の執行力ある和解調書正本に基づく本件建物収去代替執行の決定に基づき、本件建物を適法に収去したものであり、かつ、被告らに信義則上抵当権者に対する通知義務を認めることはできないから、被告らの行為には違法性がなく、不法行為は成立しない。

6  同7は争う。

7  本件建物収去に至る経緯

(一) 被告らは、斉藤運輸に対し本件土地を賃貸していたが、斉藤運輸が平成元年四月から同二年二月まで一一か月分(合計金額一〇四万円)の地代を滞納し、再三催告を受けるもその支払をしなかったため、同月六日到達の書面で斉藤運輸に対し、右賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

(二) 被告らは、平成二年二月二二日東京地方裁判所に対し、斉藤運輸を被告として建物収去土地明渡請求訴訟を提起したが、同三年二月二八日訴訟上の和解が成立して、斉藤運輸との間の右賃貸借契約を継続することとなった。

(三) 斉藤運輸は右和解後も三か月間地代の支払を怠ったため、被告らは再度、斉藤運輸との右賃貸借契約を解除する旨の意思表示をした。

(四) 被告らは、前記和解において合意した本件建物収去・本件土地明渡条項について、東京地方裁判所に執行文付与の訴えを提起し、平成三年一一月一三日認容判決を受けて執行文の付与を受け、さらに、東京地方裁判所に本件建物収去の代替執行の申立をし、平成四年一月一七日その申立を認める決定を受けた。

(五) 斉藤運輸は平成四年一月二〇日被告らに対して請求異議の訴えを提起したが、同年一一月九日請求棄却の判決がなされ、控訴審においても同五年三月二五日控訴棄却の判決がなされた。

(六) そこで、被告らは、建物収去土地明渡請求事件の執行力ある和解調書正本に基づく本件建物収去代替執行の決定に基づき、平成五年四月二六日から同月三〇日までの間に、本件建物の収去を行ったものである。

8  信義則を根拠とする通知義務の不存在

借地上の建物の抵当権者は、借地契約の当事者でないのはもちろん、土地の借地人に代わって地代を弁済すべき義務を負うものでもなく、また、土地の賃貸人も、通常、そのような抵当権者の存在を予定し、その者から地代を収受し、ないしは地代の支払を事実上担保してもらうことを計算に入れて賃貸借契約を締結するわけのものでもなく、賃貸借契約締結後、賃借人が借地上の建物に抵当権を設定しても、賃貸人が借地上の建物の抵当権者を完全に知ることは至難であるから、賃借人の地代不払いを理由に賃貸借契約を解除しようとする土地賃貸人に、賃借人に対する催告のほかに、借地上の建物の抵当権者に対する地代の支払の催告をなすべきことを求めるのは相当ではなく、信義則を根拠に催告義務を認める合理的根拠はない(東京高等裁判所昭和五六年九月二四日判決)。

9  通知義務の履行

仮に、被告らに信義則上の右通知義務があるとしても、被告陽一は、平成二年七月ころ原告江戸川支店長竜野和宏(以下「竜野支店長」という)及び同支店次長飯島真吉(以下「飯島次長」という)に対し、斉藤運輸との訴訟の経緯を説明した。すなわち、原告が平成二年二月二二日東京地裁に提起した建物収去土地明渡訴訟の主たる争点は、斉藤運輸の地代支払の遅滞の有無であったところ、地代支払方法は現金又は斉藤運輸振出しにかかる原告江戸川支店の先日付小切手の交付によるものであったため、被告陽一は、平成二年七月ころ同支店に対し、斉藤運輸の小切手の振出状況確認のため、当座勘定元帳の調査及び資料の提出を依頼したが、その際竜野支店長及び飯島次長に対して訴訟の経緯を説明したものである。被告陽一はその後も原告に対し、逐一事情を説明した。

三  反訴請求原因

1  原告の被告らに対する訴え提起

原告は、前記一のとおり、被告らに対して本訴請求訴訟を提起している。

2  被告らの原告に対する通知義務の不存在

(一) 原告は、本訴請求において、被告らの責任につき、前記一6記載のとおり主張した。

(二) しかし、被告らは、斉藤運輸の債務不履行により適法な手続に従って建物収去を行ったのであるから、結果として原告の根抵当権が消滅したとしても、被告らにはまったく責任がない。

(三) また、原告は、地主が借地上の建物に対する抵当権者の存在を知悉している場合には、借地人の賃料不払いの事実を抵当権者に通知する信義則上の義務があると主張するが、右主張は、前記二8記載のとおり、東京高裁昭和五六年九月二四日判決、学説及び銀行実務に照らし、何らの根拠がないものである。

(四) さらに、原告は、地主が抵当権者に対して右抵当権設定を承諾した場合には、右地主は、借地人の賃料不払いにより借地契約を解除し、これに基づいて借地上の建物を取り壊すためには、抵当権者にその旨を事前に通知する信義則上の義務を負うと主張するが、本件承諾書の成立については前記二2(二)記載のとおりであり、隆一は原告に対し、抵当権設定を承諾する旨の承諾書を差し入れていない。

3  通知義務の履行

仮に被告らが原告に対し、信義則上通知義務を負うと解すべきであるとしても、前記二9記載のとおり、被告らは原告に対し、斉藤運輸との間の裁判の経過について逐一報告をしているのであるから、被告らに通知義務違反はない。

4  原告の責任

(一) 民事訴訟の提起は、本来、私人に認められた訴権の行使であり、その限りでは適法な権利の行使であるから、原則として不法行為を構成するものではない。しかしながら、①不法目的・主観的害意をもってなされた訴訟提起、②権利の存在についての重大な不注意をもってなされた訴訟提起、③無益な訴訟提起の場合においては、例外的に、訴え提起自体が訴権の濫用として不法行為を構成する。

(二) 本件において、原告は、訴え提起当時わずかの調査をしさえすれば、被告らが原告に対して通知義務を負わないこと、したがって、原告の被告らに対する本訴請求が理由のないことを容易に知りえたにもかかわらず、右調査を怠り、軽率にも訴訟提起の手段に出たものであり、原告には、自己に権利がないことを知らないことにつき重大な不注意があるものというべきであり、本訴提起につき、被告らに対し損害賠償の責めを負う。

(三) さらに、原告は、被告らから斉藤運輸との間の裁判の経過について逐一報告を受けていたのであるから、被告らに対する損害賠償請求権が存在しないことを熟知しながら、悪意をもって被告らに対する本訴請求訴訟を提起したものであって、本訴提起につき、被告らに対し損害賠償の責めを負う。

5  損害

被告らは、原告から本訴請求を提起されたため応訴を余儀なくされた。被告らは右応訴のため、訴訟代理人として本件弁護士を依頼したが、同弁護士との間で、その報酬につき、着手金一〇〇万円(既払分五〇万円)、勝訴判決確定により成功報酬として一〇〇万円を支払う旨を合意した。

したがって、原告の不当訴訟提起による被告らの損害は二〇〇万円が相当である。

6  結論

よって、被告らは原告に対し、不法行為による損害賠償請求権に基づき、合計して二〇〇万円及びこれに対する反訴状送達の日の翌日である平成六年九月一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

四  反訴請求原因に対する認否及び原告の主張

1  反訴請求原因1の事実は認める。

2(一)  同2(一)の事実は認める。

(二)  同2(二)、(三)は争う。

(三)  同2(四)の事実のうち、本件承諾書の成立に関する被告らの主張、及び隆一が原告に対し、抵当権設定を承諾する旨の承諾書を差し入れていないことは否認する。

3  同3の事実は否認する。

4(一)  同4(一)の事実は認める。

(二)  同4(二)は争う。

(三)  同4(三)のうち、被告らが原告に対し、裁判につき逐一報告をしていたことは否認。その余は争う。

(四)  被告らの引用する東京高等裁判所昭和五六年九月二四日判決は、地主が建物に対する抵当権者の存在を知りえないことを前提として、地主は抵当権者に対して通知義務を負わないとの結論を導いており、抵当権を設定する際、地主が抵当権者に対し承諾書を差し入れ、抵当権者の存在を知悉している本件とは事案を異にする。本件訴訟は、いまだ裁判例のない事案について裁判所の判断を求めるものであり、本件訴訟の提起は憲法で保障された正当な訴権の行使であって、到底不法行為となるものではない。

5  同5は不知ないし争う。

6  その余の点につき、原告は、本訴における原告の主張を援用する。

第三証拠〈省略〉

理由

第一本訴請求について

一  〈証拠〉によれば、請求原因1(本件根抵当権設定行為)の事実が認められる。

二  そこで、請求原因3(本件根抵当権設定についての隆一の承諾書の差入れ)の事実につき判断するに、隆一が本件土地を所有し、これを斉藤運輸に賃貸していたことは当事者間に争いがないところ、〈証拠〉によれば、斉藤運輸が原告のために根抵当権を設定するに際して、隆一は原告に対し、右根抵当権設定を承諾する旨の本件承諾書(右甲第四号証の一)を差し入れたことが認められる。

これに対し、被告らは、被告陽一が齋藤から陸運局に提出するとの説明を受け、ほとんど白紙の書類に実印を押捺して、印鑑証明書一通とともに齋藤に交付したと主張し、被告陽一本人尋問の結果中には、右甲第四号証の一中の「内海隆一」の署名は同人によるものではない旨供述する部分があるが、同本人の供述によっても内海隆一名下の印影が同人の印章によるものであることが認められるうえ、被告陽一が実印を押捺したとする右書類と右甲第四号証の一との同一性を認めるに足りる証拠はないから、被告の右主張は採用することができず、また、被告陽一本人の右供述部分も前記の認定を左右するものとはいえない。

三  請求原因4(被告らによる相続)の事実、並びに請求原因5(被告陽一の本件建物取壊行為)の事実のうち、被告陽一が、本件建物が原告の根抵当権の目的となっている旨を認識していたこと、被告陽一が本件建物の取壊しを告げるため原告江戸川支店を訪れたこと、本件建物の取壊しによって、原告が本件建物に設定していた本件根抵当権が消滅したことは、いずれも当事者間に争いがない。

四  そこで、請求原因6(被告らの責任)の事実につき判断する。

1  斉藤運輸が原告のために根抵当権を設定するに際し、隆一が原告に対し、右根抵当権設定を承諾する旨の本件承諾書を差し入れたこと、その後、被告らは隆一の権利義務を相続したことは前記のとおりであり、被告陽一本人尋問の結果によれば、被告陽一は、少なくとも斉藤運輸に対する建物収去・土地明渡請求訴訟の提起時以降は、本件建物に原告のための根抵当権が設定されていることを認識していたことが認められる。

右のような事実関係のもとにおいては、本件土地の賃借人である斉藤運輸が同土地の賃料不払いに陥り、被告らが借地契約を解除して借地上の本件建物を取り壊そうとするときには、賃料遅滞後、本件建物取壊しに至るまでの経緯、その間の原告及び被告らの対応如何によっては、被告らが、信義則上原告に対してその旨を通知する義務を負うことがありうると解されるので、以下、この点につき検討する。

2  右三、四1に認定した事実に、〈証拠〉を総合すると、本件建物取壊しに至る経緯につき、次の事実が認められる。

(一) 隆一は本件土地を斉藤運輸に対して賃貸していたが、斉藤運輸は平成元年四月から同二年二月まで一一か月分の地代を滞納したため、隆一から本件土地の所有権及び賃貸人たる地位を相続した被告らは齋藤に対し賃貸借契約を解除する旨の意思表示をするとともに、平成二年二月二二日建物収去土地明渡請求訴訟を提起した。

被告陽一は、右訴訟提起にあたり本件建物の登記簿謄本を取り寄せた際に、初めて原告のために根抵当権が設定されていることに気がついた。

被告陽一は、提訴直後原告江戸川支店に赴き、飯島次長に対し、裁判を提起した旨報告した。

(二) 被告陽一は、右訴訟事件の代理人である藤田謹也弁護士から依頼を受けて、斉藤運輸の被告らに対する地代支払状況を確認するため、同年七月終わりころ原告に対し、斉藤運輸の当座勘定元帳の写しを交付するよう要請した。その際、被告陽一は飯島次長に対し、斉藤運輸の賃料不払いに関する裁判のために必要であるとの説明をした。また、飯島次長は、確認のため右藤田弁護士に電話をかけた際にも、同弁護士から訴訟についての説明を受けた。

飯島次長は齋藤にも事実関係の確認をしたところ、齋藤は、被告陽一が主張するほどの不払いはなく、既に支払った旨説明したものの、当座勘定元帳の写しを被告陽一に交付すること自体は承諾した。

(三) 右訴訟については平成三年二月二八日訴訟上の和解が成立したため、被告陽一はその直後原告江戸川支店に赴き、飯島次長に対し、和解が成立したことを報告した。

(四) 斉藤運輸はその後、右和解条項に違反して三か月間地代の支払を怠ったため、被告らは再度、斉藤運輸との間の右賃貸借契約を解除する旨の意思表示をし、前記和解条項中の本件建物収去・本件土地明渡条項について執行文の付与がえられなかったので、東京地方裁判所に執行文付与の訴えを提起した。被告陽一は、その直後原告江戸川支店に飯島次長を訪ね、再度裁判を提起した旨を報告した。

(五) 被告らは、平成四年一月斉藤運輸から請求異議訴訟を提起されたため、被告陽一は、同年三月初めころ原告江戸川支店において飯島次長にその旨を報告し、同年七月ころ、被告本人尋問の前後にも各一回ずつ飯島次長と裁判の話をした。

(六) 被告陽一は、平成五年一月ころ、前記藤田弁護士から本件建物への担保権設定に関し原告に承諾書を差し入れた事実の有無を確認するよう指示されたため、原告江戸川支店に赴いて右事実を確認したところ、応対に出た竜野支店長らは、前記甲第四号証の一(本件承諾書)を示して説明した。被告陽一はその際、竜野支店長らに対し、地代延滞があること、本件建物の収去を予定していること等を話さなかった。

(七) 東京地方裁判所執行官は、平成五年三月二二日本件土地建物に対する明渡収去執行に着手したが、債権者である被告らの代理人から、目的物件の受領準備を理由に執行中止の申出があったので、次回期日を同年四月二二日と定めて執行を中止した。斉藤運輸はその後被告らに対し、本件建物を任意に明け渡したので、被告らは同年五月二六日から同月三〇日までの間に本件建物を取り壊した。

被告陽一は同月二七日本件建物取壊しに先立って原告江戸川支店を訪れ、飯島次長に対し、本件建物を取り壊す旨を告知した。

以上の事実が認められ、右認定に反する前記証人飯島の証言は曖昧な部分が多く、信用できない。

3  そこで、被告らの原告に対する信義則上の通知義務の有無を判断するに、斉藤運輸が原告のために根抵当権を設定するに際して、隆一が原告に対し、右根抵当権設定を承諾する旨の本件承諾書を差し入れたこと、被告陽一は、斉藤運輸に対する建物収去・土地明渡請求訴訟の提起時以降、本件建物に原告のための根抵当権が設定されている旨認識していたことは前認定のとおりである。

しかしながら、他方、前記甲第四号証の一によれば、隆一が原告に対して差し入れた承諾書においては、隆一が土地賃貸借契約を解除し又は本件建物を取り壊す場合には予め原告に対し通知する義務を負う旨明示的に記載されていないことが認められ、前記証人飯島及び同矢崎の証言によれば、当時の銀行実務の取扱いにおいては、地主から承諾書を徴するにあたり、銀行側が直接地主の承諾意思を確認したり、地主に対し承諾に伴う効果を説明したりしないのが通例であったことが認められる。加えて、右2に認定の事実によれば、被告陽一は、被告らが斉藤運輸の賃料不払いを理由として同人に対し裁判を提起した直後及び右訴訟につき裁判上の和解が成立した後に、それぞれ原告に対しその旨報告しており、その後、被告らが斉藤運輸に対して執行文付与の訴えを提起し、斉藤運輸から請求異議の訴えを提起された際、いずれの訴えについても(訴えの内容の詳細はともかくとして)原告に対し報告をしているというのであるから、被告陽一は原告に対し、斉藤運輸との間の各訴訟の進展の度合いにつき、原告が本件建物の収去による担保目的物の滅失を避けるために適当な方策を検討する契機となる程度には一応の報告をしていたものであって、原告において右の担保目的物を保全するための適当な措置をとるべき機会も十分に与えられていたものと認めることができる。

このような事情のもとにあっては、たとえ被告らの先代が原告の根抵当権設定を承諾する旨の本件承諾書を差し入れ、かつ、被告陽一が本件建物に原告のための根抵当権が設定されていることを認識していたとの事情があったとしても、被告らに、原告主張のような信義則上の通知義務を認めることはできず、また、被告らが右の通知をしないまま本件建物を取り壊した行為が権利の濫用に該当すると認めることもできないと解するのが相当である。

五  そうすると、被告らが本件建物を取り壊した行為に違法性があるということはできないから、これを前提とする原告の本訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく理由がない。

第二反訴請求について

一  被告らは、原告の本訴提起が不当提訴であるとし、原告は、訴え提起当時わずかの調査をしさえすれば、被告らが原告に対して通知義務を負わず、本訴請求が理由のないことを容易に知りえたにもかかわらず、右調査を怠ったものであり、原告には重大な不注意があると主張する。

しかしながら、本件のように地主である被告らの先代が借地上の建物に対する抵当権設定を承諾する旨の承諾書を差し入れ、被告においても右建物が抵当権の目的となっていることを認識している事案においては、被告らが、本件建物取壊しに先立って原告に対し、信義則上その旨を通知すべき義務を負うか否かは一義的に明らかでないことは前記説示のとおりであるから、原告が本訴を提起したことにつき、原告に被告ら主張のような重大な不注意があると認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

二  また、被告らは、原告が、被告らから斉藤運輸との間の裁判の経過につき逐一報告を受けており、被告らに対する損害賠償請求権の不存在を熟知しながら、悪意をもって本訴請求を提起したと主張する。

しかしながら、被告陽一が原告に対し、斉藤運輸との間の各訴訟の進展の度合いにつき報告をしていた程度・内容は前認定のとおりであり、右のごとき程度の報告の事実をもって直ちに、原告が被告らに対する損害賠償請求権の不存在を熟知し、悪意をもって本訴請求を提起したとの事実を認めることはできず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。

三  したがって、いずれの点においても、原告の本訴提起が違法・不当なものということはできないから、被告らの反訴請求は、その余の点につき判断するまでもなく、失当といわざるをえない。

第三結論

以上の次第で、原告の本訴請求、被告らの反訴請求はいずれも理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大和陽一郎 裁判官 大竹昭彦 内野俊夫)

〈以下省略〉

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